
自分の心に向き合うための方法が世の中に様々ありますが(瞑想、宗教、心理学、マインドフルネス、NLP、量子力学 etc…) 行き着くゴールはきっと同じところ。 世の中と関わっていく上での処世術を身につければありとあらゆる局面で平静でいられるようになり、感情や体調に振り回されなくなる。 今回学んできたのが、気づき(渇望と嫌悪)

と平静さ。このバランスを保つことができれば、無敵だ。 どちらかに偏るからバランスが崩れ、苦悩する。これを女性と男性、それぞれに偏りがちかもって考えてみた笑 女性は感情的で、身体や心に気づきはするが、平静さに欠ける。(渇望や嫌悪に心が支配される)→メンヘラ化。 男性は平静さを保つのが得意だが、気づきにくい。→気付かぬうちに心身崩す。 性別問わず、人それぞれ比重の偏りはあると思いますが、一般的にこんな感じか。と気づいた。 なので、修行中(瞑想中)にあ、この形(三角形の体勢)🧘♀️って人生の全てが詰まってるなって感じて、1人で勝手に感動した🥹笑 頭(自分)右(気づき)左(平静さ) この事が心の底から腑に落ちて、全てのエネルギーが均一に保つことが出来た時、人生をマスターできるキャモ?


そして人生ってそのバランスを保つための修行だ〜🧘って思った

一瞬一瞬体の細胞は生まれて死んでゆく。そして老化する。季節も止めることはできず、花や木も咲いては散っていく。人の体も心も変わっていく。 何一つ不変はなく、無常で普遍的。変わってほしくないと思うのは渇望であり苦悩。起こって欲しいことは起こらず、起きてほしくないことが起こる。自然の法に基づくものは、コントロール外であり、受け入れるが易し。 起きることは起こしておけばいい。それもやがて変わっていくのだから。 足を組んで長らく座ってると、体に不快(嫌悪)が起こります(痺れてくる)これもまた、自然なことでありこれを平静な心を保ち、ただただ観察する。そして、この症状もまた変化していく。それもただただ観察する。 目を瞑り静かな環境で自分の体に意識を向けると湧き起こる体への心地よい反応がある。それもただただ観察する。この感覚が欲しい!と渇望することなく、平静に観察する。 客観的に変化を観察する。そんな事を練習してきました🌞最近、使われる言葉で言うとメタ認知能力ですね〜🧠
欲、欲情に飲まれることなく、
嫌悪に抵抗する事なく。。。 ほんと深いね、、うん、深いや。。

この考え方も今の自分の着地点であり、1年後にはまた、違う解釈をしてる可能性もあるけど笑それもまた無常ですな😙 あ、ちなみに体と心が引き裂かれるほど苦悩した事がなく、“どうしても脱却したい!!”まで思えなかったので、足の痺れ(不快)は限界突破できず、足を崩しまくりました。(する気が多分なかった)笑観察し続けて痺れの先どうなるのか見てみたかった気はするけどね〜


苦しみも幸せもそれなりにあり、それを経験できる事全てに感謝しています。

今日も色んな感情を味わいながら生きてる

そんな私の現在地

